この章ではフィードバック・ディレイ・ネットワークの解析を示す。 3.1節は2.5節で紹介したユニット・コムフィルタの特性について概説する。 3.2節では並列コムフィルタ・ネットワークの特性を対象とし、 この設計でいかに周波数依存のリバーブ・タイムを得るかを説明する。 3.3節においては並列コムフィルタ・ネットワークに基づいて一般的な フィードバック・ディレイ・ネットワークを導き出す。
Fig. 2.5のユニット・コムフィルタの伝達関数は( 2.10 )によって与えられ、 次のように再整理することができる。
上記の方程式において、極zk(0 k
m-1)
は
によって定義され、ここで
かつ
である。
既にFig. 2.6cで見たように、極は等しい等級を持ち、単位円の周囲に位置する。
フィードバック利得が1以下であれば、Fig. 2.6dに図解したように、
極パターンは同量の指数関数的に減衰する正弦曲線に相当する。
( 3.1 )の逆変換は以下のフィルタのインパルス応答を与える。
(n
0)
N個のユニット・コムフィルタを並列に組み合わせると、 そのシステムの伝達関数は次のようになる。
「不整合な」ディレイ長mpを選択することで、
ユニット・コムフィルタの全ての固有モード(周波数ピーク)は別個となる。
( = 0 および
=
の場合を除く)
共振する周波数ピークの総数は、サンプル数で表された
全てのユニット・コムフィルタのディレイ長の合計の半数に等しい。
JotとChaigne [16]が指摘したように、極の等級が等しくないとしても、 いくつかの共振する周波数が傑出することになる。 これは各コムフィルタの減衰時間が異なるからである。 同じ変化率で全てのコムフィルタの減衰を作るには、 全ての極の等級が等しくなければならない。 それゆえに、次の公式に従わねばならない。
(あらゆるpについて)
これはフィードバック利得gpを持つ全てのコムフィルタp の長さmpに関係する。 Fig. 3.1は並列コムフィルタのインパルス応答の滑らかな減衰を示している。(一様な極等級を持つとき)
条件( 3.4 )を遵守することでコムフィルタが一様な減衰時間を持つことは確実になる。 しかしながら、より長いディレイ長 mpを持つコムフィルタは、 ( 3.3 )に見られるようなより弱い利得の周波数ピーク(固有モードとも呼ばれる)を作りだす。 この影響を減らすため、短いディレイ長と長いディレイ長の幅をできるかぎり小さくしようとすることができる。 そんなわけでSchroeder [39]はコムフィルタのディレイ長の間の広がりを最大1:1.5と提案したのである。 この問題を回避する別の方法は、出力を合計する前に各フィルタの利得をそのディレイ長に比例して重み付けることである。 これは全てのコムフィルタの応答が一様に聞こえることを確実にする。 結果として生じる周波数応答をFig. 3.2に示す。
周波数密度はヘルツ毎の聞き手が知覚できる周波数ピークの数として定義される。 特徴はこの知覚できる周波数密度と2.4節で議論した理論上のモード密度の間に作られねばならない。 例えば、もし上で提案したようなコムフィルタの出力を補正するためのいくらかの重み付けを利用しないならば、 弱い周波数ピークが知覚されないために周波数密度はモード密度より低くなるかもしれない。
第2章で議論したように、一時的な入力と準定常状態の入力両方について不十分な周波数密度の結果に聞こえる。 一時的な音については、リバーブの後部に「共鳴する」特定のモードか2つのモードの鼓動を作り出す。 ほぼ定常状態の入力については、その他の周波数が減衰されつつ、ある周波数が押し上げられる。 良く鳴動する部屋をシミュレーションするために必要な周波数密度を決定するためには、 2.4節で用いられている例を参照するとよい。 中規模のホール(18100 m3、RT1.8秒)がfc = 20 Hzより 2.2 Hz上の最大周波数ピーク分離を持つであろうことが分かる。 これはヘルツ毎に0.45モードの周波数密度に相当する。
時間密度は聞き手が1秒間に知覚するエコーの数として定義される。 周波数密度とモード密度の相違と同様に、 時間密度とエコー密度の相違に注意せねばならない。 実際の部屋に存在するエコー密度はしばしば知覚される時間密度より大きい。 これは、実際の部屋で発生する連続的なエコーが通例段違いな利得を持ち、 より強いエコーが弱いエコーを隠してしまうためである。 並列コムフィルタ設計の場合、一つ一つのエコーが聞こえるため、エコー密度は時間密度に等しい。
もしコムフィルタのディレイ長がすべて狭い範囲内にあるならば、 次式によって周波数密度と時間密度を概算することができる。
周波数密度:
時間密度:
ここではコムフィルタの平均ディレイ長(s)、
Nはコムフィルタの数である。
従って、周波数密度と時間密度が与えられれば、いくつのコムフィルタを使うべきか、
平均ディレイ長が何であるかを次式を用いて求めることができる。
および
例えば、時間密度Dt = 1000(Schroeder [39]によって提案されたように)、 周波数密度Df = 0.45を実現しようとすれば、 21個のコムフィルタと21 msの平均ディレイを要することになるだろう。 Griesingerは広帯域幅のリバーブ・ユニットは毎秒10,000を越えるほどの 高い時間密度を持つべきであると提案した。 それにはなんと67個以上ものコムフィルタを要することになる。 幸いにも、3.3節で見るようにフィードバック・ディレイ・ネットワークが この問題を処理することになるだろう。
第2章で、リバーブ・タイムは60 dBまで減衰するのにかかる時間として定義された。 同じ等級の並列コムフィルタについて、すべてのコムフィルタ・ユニットは同じ速度で減衰する。 次式により、それらの減衰速度をdB / サンプル周期として求めることができる。
(すべてのpについて)
この式は( 3.4 )のものと等しいが、ここではとgpの代わりに、
dBで表された
とGpを用いる。
(
= 20 log(
) 、 Gp = 20 log(gp))
Schroederによるリバーブ・タイムの定義と( 3.8 )を用いることで、
それぞれのコムフィルタのリバーブ・タイムを求めることができる。
ここでTrはリバーブ・タイム、Tはサンプリング周期、
そしてp = mp
Tである。
コムフィルタのディレイ長かフィードバック利得を変更することで、リバーブ・タイムを変えることができる。
ディレイ長の増加への物理的な類似は、仮想的な部屋のサイズの増加となるだろう。
他方、フィードバック利得の減衰は空気中での音響伝播中に起こる吸収の総量として考えられる。
しかしながら、壁による吸収の総量が変化する原因となるため、
これら利得を変更する際には注意すべきである。
(それは部屋のサイズだけを変更しようと試みるときに変更すべきではない)
ディレイ長に
を掛けるか、
フィードバック利得(dB)を
で割ることで、
リバーブは
増加するだろう。
いずれにしても注目すべきは、システムの時間密度と周波数密度が変更されるということである。
Schroeder [39]によって提案され後にMoorer [27]が実装したように、 コムフィルタのフィードバック・ループにローパスフィルタを差し挟むことは、 いくらかの周波数従属の減衰速度を導く。 壁が低周波よりも高周波を吸収する傾向があるため、 これは壁の吸収をシミュレートするために利用される。
フィードバック利得gpを伝達関数hp(z)を持つフィルタに差し替えると、 周波数従属のリバーブ・タイムを得ることができる。 リバーブによって持ちこまれる不自然な着色を確実に避けたいのならば、 これら吸収フィルタを差し挟むときには注意を払うべきである。 すべてのコムフィルタが同じ相対度数の吸収をもって減衰させたいところである。 これは、Jot および Chaigne [16]がz平面における極の軌跡の連続性と呼んだ 次の条件を遵守することで達成できる。
・・・あらゆる十分に限られた周波数帯域(リバーブ・タイムを定数とみなしてよいほどの)において、 すべての固有モードは同一の減衰時間を持つはずである。 同様に、隣接する固有振動数に対応するシステム極は同一の等級を持つはずである。
すべてのコムフィルタは不自然なリバーブを避けるためにこの条件を遵守すべきである。
もし伝達関数hp(z)が単に周波数従属の利得gp =
| hp() |であれば、
極の軌跡の連続性は方程式( 3.4 )から得られる( 3.10 )によって保証される。
(すべてのpについて)
このリバーブ・タイムはまた周波数従属であり、次式によって与えられる。
0
Fig. 3.3は極の軌跡の連続性条件に従う周波数従属の減衰時間
(Tr(0) = 3 s および Tr() = 0.15 s)
を持つ並列コムフィルタを示している。
最後に、単位円内におけるいくつか、あるいはすべてのコムフィルタの共役極の位置を変更すると
固有モードの一部が他より高いエネルギーを持つようになることに留意すべきである。
これは、Fig. 3.3bに見られるように出力の全体的な周波数応答を変える。
しかしながら、伝達関数t()を持つ
次のような単純な音質補正フィルタを追加する(並列コムフィルタと直列接続する)ことで、
Fig. 3.4に示すような周波数固有のリバーブ・タイムと無関係な全体の周波数応答が得られる。
Jotは吸収を処理するために一次の無限インパルス応答(IIR)フィルタを使うことを提案し、 音質調整用の一次の有限インパルス応答(FIR)フィルタと組み合わせた。 設計で用いられるであろう吸収フィルタは以下の伝達関数を持つ。
ただし
ここで であり、また
である。
彼が利用したこれに相当する音質補正フィルタは以下の伝達関数を持つFIRフィルタであった。
ここで である。
双方のフィルタを利用して結果的に得られるシグナル・フローをFig. 3.5に示す。
前節で見たように、適当な周波数密度が与えられた並列コムフィルタ設計において 十分な時間密度を得るためには非常に多くのコムフィルタが必要となる。 より大きな時間密度を得るためのフィルタ設計については、第2章でいくつか述べた。 これら設計の一部、例えば直列オールパスフィルタは、やがて実際の部屋で観測されるような エコー密度の増強を実現した。 理想的には、並列コムフィルタと直列オールパスフィルタ双方の特性を活かすのに一般的に十分な 唯一のネットワークを見出したいところである。 また、並列コムフィルタで作ることのできる同一の周波数従属特性も実現したい。 この説ではその目標に到達するために取る方法について述べる。
Gerzon [11]は初めて単一のマルチチャンネル・ネットワークの概念を一般化し、 それは基本的にユニット・オールパスフィルタと同等のN次元のものであった。 間もなくStautnerおよびPuckette [47]がN個のディレイラインとフィードバック行列A に基づく一般的なネットワークを提案した。これをFig. 3.6に示す。 この行列において、各係数amnはディレイラインnから出てきて ディレイラインmの入力に送られる信号の量に相当する。 このシステムの安定性はフィードバック行列Aに依存する。 著者はAがユニタリ行列と|g| < 1の利得係数gの積であるときに 安定性が確かになることを発見した。 このシステムのその他の特性としては、出力が相互に非干渉であるために マルチチャンネル・システムにおいては別途の処理を要せず利用できることが挙げられる。
JotおよびChaigneは、Fig. 3.7に示したシステムを利用して この設計をよりいっそう一般化した。 ベクトル表記法とZ変換を用いるとき、このシステムの方程式は以下のようになる。
ここで、
マルチ入力、マルチ出力のシステムに関して、 ベクトルbとcは行列となる。 方程式( 3.17 )および( 3.18 )のs(z)を消去すると、 以下のシステム伝達関数が導かれる。
システムのゼロ行列は次式によって与えられる。
従って、このシステムの極は次の特性方程式の解である。
この方程式の分析的な解は自明ではない。 しかしながら、特定のフィードバック行列についてこの方程式を解くのは容易である。
JotおよびChaigneは、適切な行列を用いることでユニット・フィルタ(コムでもオールパスでも) のあらゆる組み合わせを表し得ることを指摘した。 例えばAが対角行列であるとき、システムは3.2節で述べた並列コムフィルタを表す。 また、三角行列も研究されてきた。なぜならその場合、方程式( 3.21 )は以下のように変形されるからである。
直列オールパスフィルタはそれ自身が三角フィードバック行列 (フィードバック利得gpに等しい対角線成分を持つ)のネットワークである。 従って、並列コムフィルタと同じディレイ長とフィードバック利得を持つ直列オールパスフィルタはまた、 並列コムフィルタと同じ固有モード(共振周波数と減衰速度)を持つ。
システムの安定性が保証される(ユニタリ・フィードバック・ループの極が全て単位円内にあるため)ことから、 ユニタリ・フィードバック行列は最も多く用いられてきた。 これらの行列はネットワークすべてを無限に巡回することで入力信号のエネルギーを保持する。 よって、ユニタリ・フィードバック行列は常に可逆のFDNプロトタイプを作り出す。 とはいえその他の種類のフィードバック行列もまた結果的に可逆システムとなり得る。
ネットワークの減衰時間を制御すべく、JotとChaigneはそれぞれのディレイラインの後に うまく吸収フィルタを組み合わせた可逆フィードバック行列を用いることを提案した。 コムフィルタすべてを同じ速度で減衰させ、極の軌跡の連続性を重んじるためには、 以下の方程式が遵守されなければならない。
これは多分、極を単位円からリバーブ・タイムTrによって定義される曲線に移動させるだろう。 さらに、これは3.2.4節で述べた音質補正フィルタの利用によって調整され得る 全体的な高周波の減衰を導くことになるだろう。 吸収フィルタと音質補正フィルタを含む最終的なFDNをFig. 3.8に示す。
フィードバック行列の選定は、全体的な音とリバーブレータの計算要求に関して極めて重大である。 3.3.1節で議論したように、並列コムフィルタネットワークに相当する対角行列などを例として、 多数の行列が可逆プロトタイプを作り出す。 例えば、StautnerおよびPuckette [47]は以下の行列を用いた。
ここで|g| = 1の場合、Aは可逆である。 それは、マルチチャンネル出力システムで利用されるときのその興味深い特性によるものである。 しかし、重大な改善は0の係数を持たないユニタリ行列を利用することで得られる。 これは同量のディレイラインを必要とするが、最大の密度を作り出すだろう。
そういった行列のひとつはハウスホルダー行列 [17]の類から選ばれ、次のように効果的に実装される。
ここでJNはN x Nの順列行列であり、
uNはそのN x 1の列ベクトルである。
結果として得られる行列は二つの異なる非ゼロ値を含むため、エコー密度を最大化する。
また、A N · x(z)は
JNに従ってx(z)の要素を並べ替え、
入力の成分に要素を掛けたものの合計を加算することによって効率的に計算できる。
これはN x Nの行列の乗算には通常N2回の演算を
要するのに比べ、およそ2N回の演算で済むことになる。
JNが単位行列 INであるという特別な場合には、
結果として得られるシステムはFig. 3.9に示すような最大のエコー密度を持つ並列コムフィルタのように振る舞う。
Jotは、このシステムが全ディレイ長の合計に相当する時間間隔毎に周期的なクリック音を生み出すことに気づいた。
しかしながら、他の全ての係数 cNの符号を反転させることで。
システムの出力ではこれらのクリック音を回避することができる。
円順列行列になるようにJNを選ぶことは、もう一つの興味深い可能性である。 なぜならこの構造においてはディレイラインが相互に直列に送り込まれるからである。 これはシステムの最終的な実装におけるメモリ管理を容易にする。
また、RocchessoおよびSmith [31]は以下のような形状を持つ ユニタリ循環フィードバック行列の利用を提案した。
以下の循環行列を対角行列にするため、離散フーリエ変換(DFT)行列Tを使うことができる。
これは、第1列のDFTを求めることによりAの固有値が算定できることを示す。
ここで{(A)}はA
(Dの対角線成分)の固有値である。
それらの固有値が単位係数を持つとき、循環行列は可逆となるだろう。
循環フィードバック行列を利用することには主な利点が二つある。
ひとつは具体的な固有値がシステムの設計中に特定できること、
もう一つは高速フーリエ変換が使えるため、行列の乗算を計算するのに約N log(N)
回の演算しか必要ないことである。
Fig. 3.10はN次のFDNに相当する構造の N分岐のデジタル導波路ネットワーク(DWN)を表している。 この構造におけるそれぞれの枝はFDNのディレイラインを表し、 それぞれの導波路の長さは対応するディレイラインの長さの半分である。 これは進行波が中央の接点から枝の終端に進み、それから中央の接点に戻ってくるはずだからである。 奇数のディレイラインは単一のディレイ素子で構成される反射終端を持つ同じ長さの導波路に変換できる。
pi+ = si(n) およびpi¯ = si(n+mi) を定義すると、普通のDWNの表記が得られる。
ここでp+はn時点に接点に到達する 入ってくる進行波サンプルのベクトル(FDNではディレイラインの出力)、 p¯はn時点に接点を離れる出ていく進行波サンプル (FDNではディレイラインの入力)、そしてAは導波管の接点と結びついた 分散行列(FDNではフィードバック行列)である。
RocchessoおよびSmith [31]は接点における複素力の合計が分散した不変であるとき、 この分散行列は可逆となるといえることを示した。すなわち、
ここではエルミートであり、
汎用の接点のアドミタンスとして説明される正定値行列である。
Fig. 3.10の場合、それぞれの導波路は特徴的なアドミタンス
iと
行列
= diag(
1,
2,
,
N)を持つ。
この場合、Aはユニタリ、
= Iである。
従って、それぞれの特徴的なアドミタンス?iが1のDWNはユニタリ・フィードバック行列を持つFDNに相当する。
それぞれの導波路が1より異なる特徴的なアドミタンスを持つかもしれないことから、
DWNがより一般的な類の可逆分散行列を導くことが分かる。
しかしながら、全ての可逆分散行列がN次の導波路の物理接点として説明できるわけではない。(例えば順列行列など)